3月11日 待つことは一つの十字架です
わたしはローマから下される許可を待っています。神はそれをくださるという手配をまだなさいませんが、わたしは神の摂理を拝しています。いつ届くか私にもわかりませんので、待つという十字架の上に留まっています。
祈り 主よ、このように待たされることは、わたしにとっても一つの十字架です。わたしが育てられてきたのは、あらゆることが何でもすぐに手早く行われ、それが望ましいことだという文化の中でした。朝の食べ物から、マスコミにいたるまでです。赤信号が青信号に変わるのを待たされることさえ好きではありません。主よ、いつもあなたのみ旨を受け入れ、必要であれば静かに待つことを学ばせてください。